「爽やかな新緑の古都を現地ガイドと巡る」
2026年5月29日:「おとなび」ツアー
清水寺から高台寺、八坂神社をめぐり
方広寺と豊国神社で豊臣秀吉ゆかりを訪ねます
北野界わい創生会
文責:ガイド中村仁一
はじめに
「おとなび」ツアーご参加の皆様
今回はようこそお越しいただき有難うございます
爽やかな新緑の古都をご案内をさせていただきます
どうぞ宜しくお願い致します
本サイトはご案内に際し、必要な資料や画像をまとめているものです
2026年6月29日まで閲覧可能です
なお、本サイトは本ツアーご参加の皆様のみ閲覧可能となっております
(ネットで検索してもヒットしない設定です)
爽やかな新緑の東山と豊臣秀吉ゆかりの地
ご挨拶とスケジュールご説明
今回の全体概要のご説明
清水寺
【世界遺産】清水寺(西国三十三所巡礼の第十六番札所/約60分)
ポイント:何回来ても新発見!京都で行きたい観光地第1位
平成の大改修(2008〜2021)を経た清水寺はどこが変わった?
清水寺の新緑撮影スポットを巡りましょう
産寧坂
三年坂ともいわれる石の階段
ポイント:あのウワサの真相にせまる?
ヒントは「産寧」の漢字の意味
高台寺
豊臣秀吉の菩提寺/約60分
ポイント:豊臣秀吉とねねの想いを感じる境内
桃山文化の香りが肌で感じられます
最近話題の高台寺の新たな撮影スポットとは?
円山公園 ~ 八坂神社
ポイント:円山公園の祇園しだれ桜、八坂神社の本殿は唯一無二
2020年に国宝に指定された「祇園造(八坂造)」と呼ばれる本殿に参拝しましょう
京料理いそべ
ゆばの和食膳/約60分
方広寺
「国家安康君臣豊楽」の銘文がある梵鐘が有名/約15分
ポイント:実際の大仏殿の台座跡を見れる!?
国家安康の鐘だけではもったいない!
豊臣秀吉の創建した大仏と大仏殿を肌で感じましょう
豊国神社と石垣
豊臣秀吉を祀る神社/40分
ポイント:豊臣秀吉の「歯」、使った枕を見ることができる神社
大仏殿を囲む巨大な石垣も当時のまま!
大仏殿が火災で焼けて変色した敷石がそのまま残っています
京都駅
16:30頃
【おさらい】青もみじ
新緑の候、青もみじが美しいです
「ところで緑色してるのに青もみじ?」
アルアルの話題をおさらいしておきましょう
学者さんによると
「青もみじ」の「青」は色のことではないそうです
明るいもの、みずみずしいもの、若いものを指しているそうです
青葉、青菜、青田、青竹、青二才などなど
ご用意させていただいた資料
江戸時代の観光と現代の観光
『都名所図会』は墨摺六册本で名所図会本の先魁となったものである。本書は本文を京都の俳諧師秋里籬島が著し、図版を大坂の絵師竹原春朝斎が描き、京都の書林吉野屋から安永九(1780)年に刊行された。(国際日本文化研究センター(日文研))
ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンとは?
資料のページはこちら
そしてNHK大河ドラマ「豊臣兄弟」
秀吉の大仏と大仏殿(その後の変遷)
ややこしや...
大仏
豊臣秀吉による創建は未完
木造に漆喰、その上に漆塗り・金箔おし
慶長伏見大地震で損壊
豊臣秀吉による置き換え
善光寺本尊を安置
豊臣政権(五大老五奉行)による
手と頭部は木造、他は鋳造(銅)
鋳造中に失火、破棄
豊臣秀頼による再建
鋳造(銅)
地震で破損、破棄
徳川幕府主導による再建
木造
落雷による火災で焼失
・・・・・・・・
民間による寄贈
木製(上部のみ)
火災で焼失
大仏殿
豊臣秀吉による創建
焼失
外観は現在の東寺金堂のイメージとされる
豊臣秀頼による再建
落雷による火災で焼失
外観は現在の東大寺大仏殿のイメージとされる
・・・・・・・・
民間による寄贈
仮大仏殿
火災で焼失
大仏殿拡張
豊臣政権(五大老五奉行)、秀頼による
秀吉没後も豊国廟建設と共に拡張され
三十三間堂を境内に取り込み
七重の塔、講堂などの建造が計画される
大仏さまのご尊顔は?
秀吉による大仏の試作(という伝承がある)
以下の公式サイトをご覧ください
本尊:釈迦如来坐像
奈良市指定文化財
光背の★、正面に「なら下御門 宗貞大仏師作」の墨書がある。
豊臣秀吉が発願し、京都方広寺の大仏を完成させたことで名高い椿井仏師「宗貞」の作であることが知られる。更に台座框に「西卯月廿一伝光御云々」とあり、本堂と共に造立されたと考えられる。(原文のまま)
秀頼による再建大仏のモデル
方広寺大仏坐像
盧舎那仏坐像(京の冬の旅パンフレットより)
往時の大仏の1/10サイズの模像とされる坐像
文化元年(1804年)に開眼供養が行われた
江戸幕府主導による再々建大仏のモデル
大徳寺本尊釈迦如来坐像
本尊釈迦如来坐像は、寛文年間(1661年 – 1673年)に再建された方広寺大仏(京の大仏)の1/10サイズの模像であるとされる。
方広寺を管理下に置いていた妙法院側の史料である『洛東大仏殿修覆並釈迦大像造営記』および大徳寺側の史料である『竜宝塔頭位次』によると、本尊釈迦如来坐像は、大仏製作を手掛けた仏師玄信により、大仏の試作品として製作されたが、それが時の将軍徳川家綱の手を経て、大徳寺に寄進されたものであるという(方広寺大仏再建には江戸幕府が関与していた)
こんなスケッチ画も
エンゲルベルト・ケンペルの方広寺3代目大仏(江戸時代の木造)のスケッチ(1691年作)
ケンペルは方広寺を訪れ、大仏についての記録を残した。ケンペルの日記によれば、大仏殿内部には巨大な大仏が一体鎮座しているのみで、他に仏像(脇侍)はなかったという。
また大仏は八角形の金剛垣(柵)で囲まれていたという。
ケンペルの遺した手稿や収集品は大部分が大英博物館に所蔵されているが、歴史学者のボダルト=ベイリーが、膨大な所蔵品の中からこの大仏のスケッチを発見した。
なおスケッチの通り大仏の正面には賽銭箱が置かれていたが、江戸時代に度々盗難(賽銭泥棒)の被害に遭ったことが史料に記録されている。
方広寺大仏の後日譚
江戸時代からつい最近(昭和48年)まで存在していた!?
豊臣秀吉の大仏・大仏殿の参考資料
note から
方広寺が善光寺になったかも...の件
最後にもう一つ
京都の大仏が何と「お金(寛永通宝)」になった⁉
豊臣政権(秀頼)により再建された鋳造大仏
地震により大破したため、後に江戸幕府主導で木造で再々建されています
で、その破損した大仏は...?
何と鋳なおして寛永通宝となったそうです
「えぇ~? お金にしちゃったの?」
「なんて罰当たりな!」
と思いますよね
でも、昔は大仏鋳造にお金を使うことは罰当たりではなかったのです
例えば鎌倉の大仏は、京都の大仏の逆ケースで
中国のお金を鋳なおして鋳造されているそうです
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